デジタルヘルスケア最前線デジタルを活用し「診察」の高品質化と低コスト化を実現する

「医療の鉄のトライアングル」に代表される、医療領域におけるジレンマはデジタル技術によって解決の兆しを見せている。診療の高品質化と低コスト化が可能になっているのだ

日本三大疾病の中でも、死因として最も多く、日本人の2人に1人がかかり、3人に1人が死亡する「がん」のペイシェント・ジャーニーと具体的な技術のユースケースを参考にしながら、鉄のトライアングルを打ち破る可能性を模索する
この記事をシェア
2019.06.04

デジタルで鉄のトライアングルを打ち破れ!

「医療の鉄のトライアングル(Iron Triangle of Health Care)」という言葉を聞いたことがあるだろうか? アメリカの大学教授William Kissickが1994年に提唱した、医療に関する「品質」「(医療への)アクセス」「コスト」の関係性に関する考え方である。
医療の鉄のトライアングル(1994, “Medicine’s Dilemmas” William Kissick)

例えば、医療の高品質化はコストの増加やアクセス(医療を受診可能な人の総数)の低減につながり、逆にアクセスを増やそうとするとコストの増加と品質の低下を招き、コスト削減を行うと品質やアクセスの低下を誘発する。1つを良くすると他の2つが悪くなるという医療領域におけるジレンマを表現した概念だ。確かに1990年代まではこの考え方は通用しただろうし、今でも概念としては理解できる。しかし、デジタル技術の進歩と活用によって、これら3要素すべてを満たす改革がヘルスケア領域に起こせるのではないだろうか。

第1回では、「予防」という観点で、デジタル技術を活用していかに病気やケガをしない生活を送るかを述べた。しかし現実的には、医療機関に全く世話にならない人間は存在せず、何らかの形で必ず病気やケガをし、診察や治療を受けることになる。第2回は、まずは「診察」にフォーカスを当て、デジタル技術の活用が、いかに診察の高品質化と低コスト化を実現するかという観点で論述していく。

日本三大疾病の中でも、死因として最も多く、日本人の2人に1人がかかり、3人に1人が死亡する「がん」のペイシェント・ジャーニーを想起しながら、鉄のトライアングルを打ち破る事例を追ってみたい。

主な死因別死亡数の割合(平成27年)

がんの早期診断を支援する人工知能プログラム

成人、特に会社員のほとんどは少なくとも年に1回、健康診断や人間ドックを受診するだろう。もしそこで「要検査」という診断結果が出た場合、精密検査を受けることになるが、例えば、胃や腸などの消化器官系で何らかの所見が出た場合であれば、内視鏡を使った診察を受ける人が多いと思う。
しかし、例えば大腸で発見されたポリープが、切除が必要な「腫瘍性ポリープ」なのか否かをその場で判別するのは困難な場合もあり、特に経験の浅い医師の場合はその判断ができず、結局、その場で切除できずに生検等の病理検査を実施するケースもある。これでは非常に多くのポリープが検査に持ち込まれることになり、検査を担当する医師にとっては業務量の増加、患者にとっては医療期間の長期化、そして結果的には医療コスト増につながることになる。

2019年2月、オリンパスは大腸がんの早期診断を支援する人工知能(AI)プログラム「エンドブレイン」の発売を発表した。
同社製の内視鏡と組み合わせて撮影したポリープの画像を解析し、がん化リスクがあり切除する必要があるポリープの可能性を数値として表示する機能を実現。内視鏡を用いた診断の経験が浅い医師が使った場合でも、その場で切除等の正しい治療法を判断・実施しやすくなり、患者の負担軽減、治療期間の短縮、医療現場の人手不足解消や病理検査等のコスト削減が期待できる。「AIにそんな重要な判断を任せて大丈夫なのか?」という声が聞こえてきそうだが、このプログラムの正答率は9割を超え、経験の浅い医師のサポート役としては十分に役割を果たせそうだ。

真のCT/MRI大国になれない日本

内視鏡検査だけで不安な人は、CT(コンピュータ断層撮影法)やMRI(磁気共鳴映像法)を使った全身がん検診を行う人もいるだろう。ご存知ない方も多いだろうが、実は日本は世界一のCT・MRI大国なのである。以下は、OECD調査による主要国のCT・MRI保有台数ランキングである。
引用:OECD Health Statistics 2018
このように、日本の人口100万人当たりCT保有台数は2位オーストラリア、3位アメリカと比較してダントツの1位であり、MRIも2位のアメリカとは大きな差がある。日本はハード面では非常に充実しているように見えるが、実際の検査実績状況はどうだろう。
引用:OECD Health Statistics 2018
人口1千人当たりのCT検査実施数は、台数でダントツの差をつけていたアメリカに抜かれ2位。MRIも台数ベースで1位だったものが、検査実施数で見た場合4位に甘んじる結果となっている。ではなぜ、このような逆転現象が生じるのか。
上のグラフでわかる通り、実は日本は人口100万人当たりの医師数も放射線科医数も主要国と比較して圧倒的に少ないのである。ハード面では世界一の日本だが、せっかく配備されたそのハードを使いこなせていないという実態が浮き彫りになっている。

活発なAI画像診断支援システムの開発

このような放射線科医不足という背景もあり、内視鏡領域のみならずCT・MRI領域でのAIによる画像診断支援システムの開発が盛んである。

例えば日立製作所は、肺がんCT検診の領域において、1990年代後半から診断支援システムの研究を進めており、現在は、ハイブリッドラーニング開発コンセプトに基づき、これまでの経験・知識とディープラーニングを融合した新たな診断支援技術を開発している。富士フイルムやキャノンメディカルシステムズなど、日立製作所以外のプレーヤーもAIを活用した読影支援システムの開発を活発化させており、医療品質の向上のみならず、診断支援による医師の業務効率向上や働き方改革、CT・MRI機器の稼働向上、更にはCT・MRI運用サイクル全体の最適化によるコスト削減も期待される。
日立製作所が開発する肺がんCT画像診断支援システム

医療機器におけるIoT技術の活用

また、CT・MRIは巨大かつ複雑な精密機器ゆえにそれ自体が非常に高価なことはもちろん、保守やメンテナンスにも大きなコストがかかる。
故障修理の際、代替機に入れ替えるということは不可能で現地での修理作業にならざるを得ないが、修理作業中はCT・MRIによる画像診断ができなくなり、他の病院に協力を要請する、患者の予約変更を行うなど、無駄な手間やコストが発生することになる。よって、事前の故障検知が非常に重要になるが、IoT技術によって故障を未然に防ぐサービスが拡充されつつある。
前述の日立製作所の事例であるが、MRIに装着されたセンサーから送信されるデータを分析し、故障する前に対応することでダウンタイムを16.3%削減することに成功している。ダウンタイムの削減は機器稼働率の向上にもつながることから、患者1人当りの機器使用コストの削減にも寄与するだろう。
「故障予兆診断サービス(超電導MRI装置向け)」日立製作所
このように、診察そのものをAI等デジタル技術に支援させることで医療の質とコスト削減を両立させているが、それだけでなく、検査・診察機器の保守・メンテナンスにかかるコスト削減にもデジタル技術が貢献している。

世界の先端をいくエストニアの医療データ共有基盤

内視鏡やCT・MRI検査で何らかの「がん」であると診断されると、診断した病院で治療を始める人がほとんどだと考えられるが、この段階でいわゆる「セカンド・オピニオン」を他の病院や医師に求める人もいるかもしれない。
しかし、例えば既存の内視鏡やCT・MRIの画像をまずは他の病院の医師に見せて意見をもらいたいと思ったとしても、日本ではカルテ等の医療データはその病院に帰属するものという意識が強く、外部の病院に連携するということは一部の系列病院や地域を除いて、ほとんど行われていない。
その結果、患者はまた検査の予約をし、長い期間待たされて、すべての検査や診断を新しい病院でやり直すことになる。これでは患者に心身ともに大きな負担をかけるばかりでなく、医療コスト増の原因にもなる。

有名な事例ではあるが、北ヨーロッパのバルト三国のひとつであるエストニアがブロックチェーン技術を活用して実現している電子政府は、日本にとってひとつの目指すべき姿として多くの文献や記事で紹介されている。
エストニアでは、取得が義務付けられている国民IDカードを通して、自分の電子カルテや電子処方箋などの医療データ情報にアクセスできるだけでなく、どの病院でも閲覧することが可能になっている。
自分の医療データへのアクセス履歴も確認することができるので、究極の個人情報のひとつである医療データを国に預ける際の安心感につながっているという。
エストニアの事例にみられるように、ブロックチェーンなどのデジタル技術でセキュリティが保全された医療データ共有基盤を構築することが、医療の高品質化と低コスト化を実現させるための必須要件といえるだろう。

本当に人間しか人間を診察できないのか?

これまで見てきた診察領域におけるデジタル技術活用事例から言える主な期待効果は、以下のようにまとめられる。
内視鏡やCT・MRIなど、人類は診察医療機器を高度に発達させてきた。
しかし、どれほど医療機器が発達しても「人間を診察するのは人間しかできない」という常識が存在してきたし、「だからお金がかかってもしょうがない」という不文律も存在した。
現在開発が進むAIによる診断システムも、あくまで医師の判断をサポートするためのものであり、診察・診断の最終的な責任は、もう暫くは医師が負うことになるであろう。
しかし、自動車の自動運転の実現性が時間とともに高まり、法律やルールなど新しい秩序の必要性が議論され始めているのと同じように、診察行為そのものが人間より正しい判断ができるAIが主体的に行う時代が来るかもしれない。
その時は「人間を診察するのは人間しかできない」「だからお金がかかってもしょうがない」という常識は崩れ去るのではないだろうか。
次回は『デジタルを活用し、「治療」の高品質化と低コスト化を実現する』をテーマに、特に医薬品や手術に焦点をあてて考察する。

パートナー 大野 伸一

大手証券会社、銀行、外資系コンサルティングファーム等を経て、ベイカレント・コンサルティングに入社。
金融機関、商社、メーカー等の広範な業界を対象に、経営戦略の策定や事業参入戦略、広告・マーケティング戦略、業務プロセスや内部統制等の改善、次期業務基幹システムの構想策定等の多数のプロジェクトに従事。