デジタルトーク

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2019.11.30

共通 デジタルと科学の微妙な関係

科学から科学技術へ

ポスト・ノーマルサイエンス」という言葉をご存知だろうか。従来の「ノーマルサイエンス(応用科学)」では扱いきれない問題に対する科学のアプローチであり、1990年ごろからRavetzらによって開発された考え方である。

何がどのように「扱いきれない問題」なのかといえば、意思決定の影響度合いと事実の不確実性が高いため、科学的な人格だけでは意思決定できない問題であるということだ。この問題が初めて顕在化した有名な例がマンハッタン計画である。それまで科学者の興味関心(すなわちフェルミらの核分裂に関する研究)を原動力にしてきた研究活動を、「熱核兵器を実用化する」というミッションのもとで国家主導プロジェクトとして共通リソースのもとで進めた、今日で言うところの科学政策だ。

第2次世界大戦の終結を境に、科学と技術の融合による「時には恐ろしい効果(=意思決定の影響度合い)」と「理論的な説明可能性が不十分な状態(=事実の不確実性)」での研究の必要性が増大。科学のありように大きな影響を与えるようになった。国家や産業の関心、すなわち政治・経済と科学は不可分なものとなったのだ。現在でも、環境問題や遺伝子組み換え作物の可否など、科学だけでは判断できない問題は山積している。これらの「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題群からなる領域」を改めて定義したのが前述の「ポスト・ノーマルサイエンス」ということである。

台頭するモード2科学

こうした状況の中、1999年の世界科学会議(いわゆるブタペスト会議)では以下の「科学と科学知識の利用に関する世界宣言」がなされた。
  • 知識のための科学
  • 平和のための科学
  • 開発のための科学
  • 社会における科学と社会のための科学
4つ目が特にわかりづらいが、社会貢献と万人からの研究へのアクセスを重視するための宣言と呼ぶことができる。同じような時期にGibbonsによって定義されたモード2科学はより具体的だ。
図表
表中にもあるが、これらのモード2科学の中でも特に注目を集めているのがデータサイエンスであり、その影響は大学において顕著だ。2019年にはハーバード大から、興味深い発表がなされた。経済学部において、従来まで最も受講生に人気のあったクラスは代表的なニュー・ケインジアンであるMankiwの “Principles of Economics”(経済学原論)だったが、同年にこれに取って代わったのが ”Big Data” だったというのである。

その内容は、大まかにいえば経済・社会問題の解決の糸口をデータ分析に求めるものであり、まさにモード2科学の目指すところだと言えるだろう。だがしかし、これは本当に正しい現象だろうか? 専門分野を模索しながら自身の興味関心を、学習を通して見極めることは大学の特に1-2回生にとって重要な仕事だったはずだ。それが課題解決ありきのモード2科学になることに若干の違和感を感じていた。

翻って我が国の学生に接してみると、より就職活動に近い文脈で上記の変化を感じ取ることができた。

まず、学生向けの就職応援雑誌のようなものがキャリアセンターから配布されるのだが、これが非常によくできている。業界・業種の実態を説明していたり、新卒社員の声を載せていたり、特に驚いたのは各業種の主要プレイヤーを図式化しているページの精緻な作り込みで、これは業界地図そのものだ。また、ここ最近の特集ページの主役はやはりデジタル。業界構造が変化しつつあり、専門的な能力を業界を問わずに発揮できる即戦力人材が求められる、なんてことが書いてあったりする。

そもそもキャリアセンター自体の機能・サービスも非常に充実している。学生に関する定期的な面談からエントリーシートのフォロー、会社の調査と紹介まで行う職員も珍しくなく、まるで大手の人材紹介企業の出張所が学内にあるようだ。

こういった状況の中で、実際にどのような授業に人気が集まっているかを見てみると、やはり新設されている授業にはデータサイエンスが関係しているものが多いようだ。とあるデータ分析理論のシラバスを見てみると、基本的な仮説検定の考え方から始まって、顧客行動の理解、KPIツリー、コンジョイント分析、顧客セグメンテーション、RFM分析……と続く、これを半年間、14コマの授業で叩き込もうというのだから、(内容を見てはいないが)並のデータサイエンティスト養成講座よりもハードである。そして、基礎的な統計学に関する部分は非常に少なく、ケースを通した実践のステップに重きが置かれている。ことさらにうたってはいないものの、これらはやはりモード2科学なのだ。

実学の認識は正しいか?

以上の傾向が顕著になってきたのは、デジタルが日本企業に浸透してきたここ数年であり、デジタル人材に各社の興味が移ってきていることの一つの証左だと考えられる。学生にとっては効率的に学べている感覚があるかもしれないが、こうして大学が(大学院であればまだしも)職業訓練学校のようになっていくことは、前述の政治・経済・科学のバランスを崩してしまうのではないだろうか。

もちろん、大学側が就職実績を追い求めることだけが問題なのではない。企業側にも、「即戦力を求めすぎる傾向」と「採用過程にその考え方が正しく反映されていない」という二つの問題があると感じる。

かなり前だが、とある企業で新卒採用を担当する役員と話した時のことだ。学生に「在学中に達成した最も大きなことは何ですか?」と聞くと、概ね部活やバイトでリーダーシップを発揮した話が返ってくる。せっかくなので研究成果の話を聞こうと思ったが、あまりそのような内容は話してくれないという。その後、その学生が入社していたので大学で研究していた事を聞いてみると、非常に興味深い修士クラスの研究をしていたことがわかった。

言うまでもなく学生の本分は勉強であり、学生時代の最大の成果は研究であることが多いだろう。企業としても、一つの課題を解くために様々な手法を試し、目的合理性を高くして成果を積み重ねた経験こそが量りたい能力だったはずだ。それを、面接官がよくわからないという理由で評価しないのも一つの問題だろう。企業側が姿勢ではなく成果だけを見ている以上、学生は面接官にも理解できる話をしたり、予め求められていることが分かっているスキルを学んだ成果しか話せなくなってゆくのだ。

日本にはモード2科学よりも以前から「実学」という言葉があり、これは狭義では応用科学と同一視されるが、本来は「学問のための学問」を認めず、科学を世の中に役立てようという姿勢のことだ。幕末志士たちが実学を標榜して、慶應義塾大学(福沢諭吉)や東京農業大学(榎本武揚)など多くの学び舎が作られてきた。実学とは当然、飲食店でアルバイトをすることではないだろうが、一方で即戦力という大義名分で学生の可能性を奪ってしまうことでもないはずだ。

日本における高等教育に関する問題は、官民学が協力しなければ解決できない問題であり、ここで述べたのはそのごく一部だ。しかし問題の複雑さとは無関係に、デジタル化がその問題を急速に顕在化させているのは間違い無いだろう。まずは、学生も企業も視野を広げてお互いの価値を見出すことが重要ではないだろうか。

運営スタッフ 松本 敦

エンタメ企業を経て現職。デジタル・イノベーション・ラボ所属。
通信・ハイテク・メディア企業を中心に、経営計画の策定、サービス企画立案、実証実験の実行支援等のプロジェクトに従事。
"Digital Integration" 公開以降は本サイト運営スタッフ。お問い合せ等はお気軽に!

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