これまでの社会・コミュニティの限界
日本において、近代社会以前の社会・コミュニティとは「ムラ・一族」であり、個人の帰属意識は血縁であった。出生で人生の役割や職業が定められ、長老制や家父長制等による支配政治制度の中で一生涯を「ムラ・一族」内で全うした。
その後、戦後においてアメリカ主導で資本主義の導入を余儀なくされた日本だが、この「ムラ・一族」の機能を「会社」に代替させることで、個人の帰属意識を「会社」に帰着させたと思われる。その証拠に、今の日本の「会社」は、一生涯同一企業で働くことを前提とし、終身雇用制度や年功序列制度、個人の生活をサポートする福利厚生制度等の仕組みが設けられていた。
しかし、平成が終わりを迎える現在、その「会社」というムラ社会の崩壊は実感されつつあるだろう。少子化・人口減少に伴う労働人口の減少、AI・ロボット化に伴う単純作業の消失・ブルーカラー職の減少、人生100年時代を前提とした長期的な就業・学習サイクルの構築。これらの社会的背景から、終身雇用制度は崩壊し、転職が当たり前の労働環境となった。また、個人の意識も仕事第一主義から、多様な働き方を求めるようになり、働く理由や帰属意識も「会社」から「自分のため・家族のため・個人的な仲間のため」にシフトしつつあるように感じる。
それでは、これからの社会は、どのような社会になるのか?
結論はこうだ。個人の自由意思でコミュニティを構築し、活動する「個人間ネットワーク・コミュニティ」社会が到来し、その中で新たな働き方や生活が定義されると思われる。